a Kalendis Quintilis MCMIC


雑記

平成11.6.14

CONTAX S2b w/Planar T*50/F1.4
besides 'Luise'

 自分のカメラを持つようになったのは、かれこれ十数年前のことだけれども、スナップを撮るだけのもので、別段、どうこう構えたものがあったわけではない。富士写真工業の、今で云うAEコンパクトカメラ(当時はEEカメラと云った)は、マニュアルフォーカスだが測距儀もピントグラスもない目測式で、適度に暗いレンズを使っていたから、被写界深度の深さでずれをカバーしていたのだろう。そのうちコンパクトカメラに、AFだのズームだのパノラマだの色々な機能がつくようになってからも、ずっとそのEEカメラを使っていた。スナップ用だから、それでも困ることはない。やがて使い捨てカメラ(メーカーはこの使い捨てと云う言葉を嫌っている。実際、フィルム以外はほぼ100%の再利用率だからして、間違った通り名ではあるのだが)の簡便さに出番もなくなり、それは天敵塵埃を大量に被ったまま、部屋の隅にうっちゃられてしまった。
 突然、一眼レフというか、カメラそのものに興味が舞い戻ってきたのは、3年くらい前の話だ。わたくしは他人に左右され易い意志薄弱者だからして、知人が新しいカメラを購入したのを見て、勃然と欲しくなったのである。軟弱である。というか子供だな。軟弱のくせに変な先入主を持っているので、電子式全盛でデジタルカメラ興隆のこのご時世に、機械式一眼レフを購った。あとで苦労することになる。
 その時購入したのは、京セラCONTAX S2bと、Carl Zeiss Planar T*50/F1.4であった。白状してしまえば、その名前がどれだけの伝説と威光とを有っているかなど、当時なんらの知識も持ち合わせていなかった。池袋の量販店で、最終的にその機材を選んだ理由というのは、単に他社の機械式一眼レフのデザインが気にくわなかっただけのことである。中古市場の存在には気もつかず、ただカメラを手に入れよう、という思いだけが先走った結果、分不相応にも、栄えあるツァイス−コンタックスの残滓を曳きずる、恐るべきマニアックカメラ-----もといマニュアルカメラが手許に訪れて、わたくしの写真地獄が始まった。
 そうしてここ3年ばかり、コンタックスとツァイスの組み合わせを使っているのだけれども、いくら優秀な機械を使ったところで、腕が腕なのだからろくな写真は撮れない。写真を撮る、というよりも、カメラを操作しているだけ、といった感じである。いつだったか、「コピーミスでひん曲がった画像が芸術にならないのなら、写真だって機械を使って撮るだけなんだから、芸術じゃない」と云った知人がいたが、それは素人のわたくし以上に写真を知らない、云い草である。わたくしのように、ただ構図を決めてレリーズを押しているだけならそうとも云えるだろうけれど、機械の偶然性に任せて、ちょっと毛色の変わったものを捻り出してみたところで、それを芸術だと云い張るのは、出来の悪いシュルレアリスムをあさっての方向に勘違いした、馬鹿のやることである。
 さて、一旦興味を惹かれると、底知らずにのめり込んでゆく性癖が出た。素人の陥り易い泥沼にはまったわけである。肝心の撮影技術はおろそかなまま、機材や理論に深入りするのは、根っからの書斎人だからであろう。大体、書斎人が写真に手を出してはいけないのだ、写真はフィールドワークに裏打ちされるのだからして。
 それでも飽きずに写真は撮る。ある程度撮った後で気づくのだが、写真は謙虚な-----と云って語弊があるなら気の弱い-----人には向いていない。被写体にレンズを向けて、執拗に追い回すというのは、かなりずうずうしくないとやってられぬ。殊に、攻城砲みたいな口径の大きいレンズを使っていると、尚更である。そしてまた、ツァイスのレンズは他社の同じ焦点距離、口径比のレンズと比べて、異様に大きく、おまけに重い。ひとたびツァイスのレンズを使うと、他社のレンズが使えなくなる、とはたまに聞かれることであるが、今時のレンズは光学設計技術も格段に進歩していて、重箱の隅をつつくつもりで見比べてもみなければ、そう大した差は表れない。素人が何を云うか、と云われるところだが、こと解像力に関して云えば、ツァイスもライカもニコンもキャノンも、似たようなもんである。報道という特殊な現場にしてみれば、なまじ高くて重くて大きなツァイスレンズなぞよりも、安くて軽くて小さな国産レンズのほうが、使い勝手が良いというものだ。
 だがもちろん、それは解像力という一特性に徴してみたところの話であって、結局、写真がひとつの芸術領域-----というか表現媒体に成熟した現在においては、解像力さえ優れていれば良いというわけではないし、ザイデルの5収差が完璧に補正されていれば結構というものでもない。そうしてみると、レンズの味などという摩訶不思議な判断指標が出現して、最終的な評価基準は観る者使う人個々人の美的感覚に依存するという、メーカーにとっては至極厄介な世紀末的様相を呈してしまうのも、止むを得ざることなのだ。
 ところで、コンタックスと云えば、ライカである。永遠のライバルらしい。世の中、マニアというものは、どこへ行っても何を対象としても同じようなもので、彼らほど見下げ果てた連中もないものだが、コンタックスとライカについても、嗤うべき事件がかつて起きた。戦前のある年、朝日系列のとある雑誌が、ライカとコンタックスの最新機種を使って、ある性能採点を試みた。その結果、僅かにコンタックスのほうに軍配が上がったのであるが、するとここに、大日本帝国内のライカファン、またはライカ気違いから、猛然たる反論、あるいはいちゃもんが出た。彼らはあろうことか、一写真店(それはライカの日本代理店なのだが)の協力を得、「降り懸かる火の粉は払わねばならぬ」なる反駁小冊子を発行して、これを糾弾しにかかった。全くもってお笑い草である。なんでまた一批評子の一記事に対し、国家の一大事みた反応を示すのだろうか? やはりマニアはマニアックなのだ。ファンとて、もとよりファナティックである。別段わたくしコンタックスユーザだから、てわけではないのだけれども、所詮、人間なんて、カメラだろうがコンピュータだろうが、最初に手に馴染んだメーカの製品を、不思議と使い続けたがるものなのだというのに、良識を疑うべき愚行ではある。
 写真機としての使い易さから云えば、大ツァイスの独善の固まりのようなコンタックスI型が、十年近くもプロ、アマ取り混ぜてのユーザに「教育」されてきたライカIII型に勝てる筈もなく、つまるところその「降り懸かる火の粉」事件は、ファン-----要するにおたくだ-----たちの果てしのない水掛け論争を惹き起こしただけで、却って35mm小型カメラとしては新参のツァイス−コンタックスに、一種の伝説的後光を与えることとなった観がなくもない。
 巷間、ライカを駄目にしたのはライカファンに他ならない、と云われることがある。ユーザという人種は、往々にして身勝手で、しかも予想以上に保守的である。昨今、アップル(コンピュータ)を駄目にしたのはアップルユーザだ、と云われる由縁も、結局は少しばかりユーザに気を遣いすぎて、健全な企業発展の途を自ら閉ざしてしまったところにあろう。その点、戦後のツァイス(シュツットガルト)が、距離計連動機の最高峰ライカM3の完成と、東の同胞ツァイス・イエナが実を結ばせた、コンタックスS系の発展とを横目に眺めながら、早々にコンタックスシリーズの開発を断念して、一眼レフレックスカメラへと方向転換したことは、写真産業の一翼を担う企業として、実に正しく賢い決定であったと云えよう。むろん、その後のツァイスのレフレックスカメラが、相も変わらず独善的な機構と価格を有っていたとしても、また、そのために極東の新興勢力に対して、ライカともども惨敗を喫することになったとしても、だ。
PORTICVS-indexへ戻る


Copyright(C)1999 Yoshitane Takanashi
inserted by FC2 system