■ Biotar 1,5/75


表記:Biotar 1:1,5 f=75mm T
最短撮影距離:1m
最小絞り:22
マウント:外爪バヨネット
構成:4群6枚
製造・年代:Carl Zeiss Jena, 1950
フィルタ径:A58/S55x0,75
重量:000g
特記事項:Tコーティング
 ヴィリー・メルテ設計のダブルガウス型大口径レンズ、ビオターは、もともとシネカメラ用の高速レンズとして設計された。写真カメラ用としては、ツァイスの旗艦カメラ、コンタックスの標準高速レンズ、ゾナーと同等の明るさを持つレンズを、バックフォーカスの長いカメラにも供給することを主眼として、VPエキザクタの高速版、ナハトエキザクタ用に1934年、まずビオター2/8cmが用意され、続いて1936年にキネエキザクタ用の2/5,8cmが設計された。また、エキザクタ66用には2/10cmが供給されている。これらはマイヤーのプリモプランとともに、エキザクタ用大口径レンズとして名を馳せた。ビオターはその後も、コリブリやコンタックスにも供給されたが、戦前の代表格はやはりエキザクタレンズだろう。
 1948年、その後のカメラ史を塗り替える原型となったコンタックスSが発表されたとき、その標準レンズはビオター2/5,8cmだった。これはキネエキザクタ用のものを流用したと考えられる。ゾナー1,5/5cmをSLR用に改造する計画もあったが、あまりに大きくなりすぎたので試作で終わっている。同時期、コンタックスSとエキザクタIIの中望遠大口径レンズとして、1,5/7,5cmが登場した。実はエキザクタ用は戦時中から製作されていたらしいが、確証はない。何本かの戦中期シリアル番号のレンズが見つかっているものの、それが正しく戦時中に作られたという証拠はない。SLR用ビオター75mmは東独SLRの唯一の高速中望遠レンズとして、1960年代まで生き残った。他にはテッサーとビオメターの2,8/80しかなかったのだ。
 1950年になると、新しく西独で開発されたコンタックスIIaに対し、未だ量産体制の整わないオーバーコッヘンのカール・ツァイスに代わって、イエナからレンズが供給された。その中には3本の新しいレンズが含まれていた。それがトポゴン4/25とビオメター2,8/35、そしてこのビオター1,5/75だった。鏡胴の造りは普通絞りのSLR版とほぼ同じで、ユダヤ教の燭台のような被写界深度目盛が刻まれている。このデザインはそのまま西独レンズにも継承された。サイズ的にはゾナー2/85よりも大きい。中にガラスがぎっしり詰まったという重量感もある。
 ビオター1,5/75のコンタックスマウントは推計で僅かに220本が作られたに過ぎない。これはテレテッサーK8/30cmに次いで最も少ない本数である。その稀少性と光学性能の良さとから、市価は極めて高い。


2005 Tsukiji, Tokyo F5,6 ILFORD DELTA 400 PROFESSIONAL


Photo and Text (C)2005 Yoshitane Takanashi inserted by FC2 system