◆ Biogon 21mm/F4,5


    F16 1/200, Biogon 21mm/F4,5+Nikon S, ASTIA, 05/1999
     欧洲全土、とりわけドイツと東欧に癒し難い傷痕を遺した戦乱の後、スイスの光学メーカーに籍を移していたルートヴィヒ・ベルテレが、ツァイスのたっての依頼で設計した超広角レンズであり、今更言を費やすまでもない程に著名な高性能レンズである。ビオゴンという名称は、かつて(またこのときも)3,5cm/F2,8の広角レンズに与えられており、それはゾナーの光学系に特徴ある後群を加えた発展形であった。ビオゴン3,5cmは、それだけでも十分、その名前に驚異と信頼を付加するものであったが、1953年末のこの4,5/21によって、甫めて独自の、確乎とした意味合いを有つに至ったと云える。
     フランジバックを極度に短くできる距離系連動機に相応しい、対称型ダブルガウスのレンズ構成を有ち、航空写真用レンズであるアビオゴンから発展したとされるベルテレの新ビオゴンは、昨今の一眼レフ用レトロフォーカス広角レンズが、最新の技術を動員してもなお、凌駕し得ていない高みにある、と云ったら誉めすぎかもしれぬ。だが、40年以上も前の設計でありながら、徹底的に収差を補正して、恐ろしいまでにクリアな写りを見せるビオゴン4,5/21は、確かに情緒的な風景描写には不向きである一方、截然と対象を突き放して、冷徹にも世界を再構築する。ペニシリンとロケット工学とに比肩しうる貢献を、光学世界に為したという評価の正当性については措くとしても、それまで決して知られていなかったわけではないこのレンズ構成が、恰もベルテレとツァイスの天啓によって、突如この世にもたらされたかのように、以後、スーパーアンギュロン、ニッコール21mmと、精巧な追従者を生み出したことだけは、疑い得ない事実である。
     ビオゴンの鏡胴は、同じ戦後のコンタックス用広角レンズ2種とともに、独特の形状を呈している。実用上、これはお世辞にも使い易いとは云い難い。とりわけ絞り環の落ち着きのなさは、せめてテッサー8/28のように、すり鉢状の鏡胴内側に配置して貰いたかったと思わせるほど、ちょっとした接触でずれ易い。距離環の扱い難さに関して云えば、もとより広角レンズで距離合わせをする行為の無用さゆえに、巷間云われているほどの障碍とは思えぬまでも、絞りがこうも簡単にずれるようではお話にならぬ。どうしてまた大ツァイスは、広角テッサーやトポゴン4/25で見せた美しく、また利便性の高い鏡胴デザインを、かくも野暮で扱い難い形状に貶めてしまったのか、理解に苦しむところではある。それにまた、ビオゴン21mmのマウンドのような前面レンズを保護する意味からしても、この鏡胴には機能美のかけらすらない。ここ一番のところで点睛を欠く、ツァイスお得意のまぬけさを、残念ながらここに認めなければなるまい。
     最短撮影距離の0,9mという値は、今日の一眼レフ・レトロフォーカスレンズに慣れ親しんだ世代からすれば、だいぶ物足りない値ではある。かのスーパーアンギュロンが0.4mまで近接できたことに比すると、これはツァイスの怠慢であろうと難じたくもなるが、コンタックスが謳ったバヨネットマウントが――正確に云うとレンズマウントと距離計との連動構造が、ここで仇となった形だ。いっそのこと、連動など考えずに、トポゴンや広角テッサーの如く目測合わせにしてしまったほうが、21mmという焦点距離の特性からしても、問題なかったと思われる。実際のところ、全開でもF4,5に過ぎない暗さの上で、ファインダーを覗き込んで正確な距離合わせをする事由など、撮影者の自己満足以外のほかには見あたらぬ。絞り開放のままレンズをめいっぱい繰り出した(至近距離に合焦)ところで、許容ぼけ1/30mmでの被写界深度は、前後に20cm以上もあるのだから。
     さすがに開放での周辺光量は、目に付くほどの落ち方を見せる。これはそういう設計なのだと割り切るしかあるまい。それにまた、絶対に周辺光量が落ちてはいけないという理由など、どこにもないのである。40年近く前のレンズにしては、コントラストはかなり高いが、それでも極端な被写体でなければ、ハーフトーンが潰れてしまうほどのものではない。絞り全域に亙って優れた結像能力を有つこのビオゴンは、今もって十分戦列に加わるに足るだけの性能と魅力とを、その内に秘めていると云えるだろう。


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    Text and Photo : (C)1999 Takanashi Yoshitane.
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