◆ Biogon 3,5cm/F2,8 prewar


    F4 1/50, Biogon 3,5cm/F2,8+Kiev III, Neopan SS, 04/1999
     ニュルンベルクとベルリンとで、レニ・リーフェンシュタールの名を確固たるものにした、あの2つの祭典が終わった頃、ツァイスとベルテレとは、驚異の1936年を締め括るに相応しい、もう一つの伝説を歴史に加えた。ビオゴン3,5cm/F2,8。当時最も明るく、最良の結像能力を有った、広角レンズの登場である。基本構成はゾナーのそれで、大口径化に伴う収差の補正のために、誰もが言及せずにはいられぬ魅惑的な後玉が後群に加えられた。その結果、真鍮からアルミ製に変わって容積の増大したシャッター幕の、巻軸カバーが邪魔となり、戦後のaシリーズには適合しない。
     ビオゴンが現れるまで、コンタックスシリーズにはテッサー2,8cm/F8という、非常に暗い広角レンズしか供給されていなかった。ビオター4cm/F2という際物が存在していたが、これは実際には42,5mmの焦点距離であって、どう譲歩したところで広角レンズとは云い難い。一方、ライカにはエルマーの2,8cm/F6,3と3,5cm/F3,5があり、これらが35mm判カメラにおける、事実上のすべての選択肢であった。当時の市場を見るに、広角という画角はその光学性能を満足させることの難しさを割り引いて考えたとしても、余り一般的なものではなかったようだ。ツァイス、そしてライツも、その交換レンズのラインナップは、主として望遠側に向かっている。イエナの企業についてのみ云えば、このビオゴンのほかにはその廉価版とされたオルトメター3,5cm/F4,5と、ごく少数生産されたというヘラー3,5cm/F3,5があるだけであり、トポゴン2,5cm/F4,5とヒュペルゴン2,8cm/F6、それに魚眼16mmが試作されたとはいえ、いずれも商品化されるには至らなかった。
     距離計連動機がその威力を発揮するのは、広角においてとされる。それは、被写界深度のシビアな望遠系がそもそもの連動精度に大きくその実用上の性能を委ねざるを得なかったことに対して、許容誤差を広く取れるということよりも、ミラークリアランスを必要としない設計上の自由度による高性能のレンズ供給が可能であるということのほか、ピントの山を確実に押さえることができるという、距離計連動機の特性――もちろん連動精度がある程度しっかりしていれば、の話だが――にもよろう。むろん、焦点距離が短いほど被写界深度は深くなり、厳密にピント合わせをしなくとも大概のものは綺麗に写し込める。スナップを撮る人々にとって、これは当たり前の了解事項ではあるのだが、所詮は許容ぼけの緩やかな裾野にしがみつくだけのことであり、やはりピントの山が狙った位置に来ているほうが好ましい時もある。そのとき、レンジファインダーカメラに装着された広角レンズは、一眼レフカメラの最高級レトロフォーカス広角レンズよりも迅速且つ確実に目標を狙撃し得るだろう。
     ビオゴンの開放F値が2,8というのは、確かに今日の視点から見ればささやかなものである。光学的に複雑怪奇にならざるを得ない一眼レフ用広角レンズにおいてさえも、F2.8は極めて一般的な値である。30年代後半に登場したときの余人の驚きを思えと云っても、それは土台無理な相談だ。さりながら、手計算の時代にこの明るさ、この画角で、しかも控えめに見ても十分に良好な結像性能を、開放からすでにして示し得たことは、やはり驚愕すべきことであろう。実際、その描写は決してシャープなものではないとはいえ、極めて端正で優しいものであり、現代のレンズが失ったか故意に放棄した暖かみがある。さすがにコーティングされていないためか、カラーでの撮影では聊か分が悪いが、戦後の新型ビオゴン35mm/F2,8の透徹した歯切れの良さや、プラナー35mm/F3,5の燃えるような鮮やかさとは違った、深みのある情感をそこに見出すことができる、貴重な35mmレンズである。


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    Text and Photo : (C)1999 Takanashi Yoshitane.
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