◆ テッサータイプの35ミリレンズ

Elmar / W-Nikkor / TYPE X1 / MINOR / Xenagon / Westron / Serenar / Tanar / Travetar / Tessar

 1902年の発明以来、およそ今日に至るまでテッサータイプは万能レンズとしてカメラ界に君臨してきた。確かに戦後は第一級品としての地位はガウス型やその他の得体の知れない──もちろんコンピュータの最適化プログラムはどの系列にも属さないカタチを生み出すからだが──レンズタイプに譲ってしまったが、雨後の筍のように現われた日本のコンパクトカメラや80年代以降の全自動カメラにもれなく搭載されて、少なくとも中級カメラの主役レンズであったことは間違いない。
 本家ツァイスのテッサーを始め、ライツのエルマー、ロス・エクスプレス、ベルチオのフロール、シュナイダー・クセナー、アグファのゾリナー、ロッコール、インダスターなど、テッサー型の名レンズは数多い。ローライフレックス・オリジナル、ライカA、イコンタ、ローライ35、これらカメラ史に残る写真機の最初の伴侶はテッサー型だった。(正確にはライカAはライツアナスチグマットだが、当初からエルマーを搭載する予定ではあった。変更されたのは特許と硝材供給の関係からだ。)

 ところで小型カメラ、いわゆるライカ判カメラの広角レンズとして最初に登場したのはライツのエルマー3,5/35だった(1930年)。これは50ミリのエルマーと違い、第2・3群間に絞り幕を持つ純然たるテッサー型である。コンタックスでライカを追いかけていたツァイスも広角サイドへの展開を図っていたが、ようやく1936年に登場した35ミリレンズはテッサー型ではなく、ゾナーの変形であるビオゴン2,8/3,5cmだった。その後もオルトメターやヘラーなどを繰り出してきたものの、戦前の35ミリと云えばこの2本が双璧であり、またほぼ唯一のライバル同士だった。
 但しライバルとは云っても、両者の描写力には明らかに差があった。ビオゴンは明るさで上回っていたし、開放からの描写も繊細でコントラストも良く、F4乃至5,6まで絞ればエルマーはおろか当時のどの焦点距離のレンズをも凌ぐ──8,5サンチのゾナーだけは別だ──優美な絵を作り出すことができた。もちろん、だからと云って35ミリのエルマーが悪いレンズだったと云うのではない。エルマーにはエルマーの良さがある。写真はなにもきりっとシャープに写っていれば良いというものではないのだ。


Leica DIII + Elmar 3,5/3,5cm. NEOPAN 400 PRESTO


Elmar 3,5/3,5cm

 戦後になると日本光学のWニッコール3,5/3,5cmを嚆矢として、幾つかのテッサー型35ミリレンズが出た。アンジェニューX1、オールド・デルフト・ミノール、シュナイダー・クセナゴン。いずれも3,5/35だ。恐らくセレナー3,5/35もテッサー型であろう。けれども当のツァイスはビオメターやら新ビオゴンやらプラナーやらと、あくまでテッサー型を忌避し続けた。時代の流れは大口径化と一眼レフとに向かっていたから、F3,5よりも明るくすることが困難なテッサーはじきに見向きもされなくなり、35ミリレンズはガウスタイプと逆望遠型を主流として発展していくことになる。
 それでも今日、性能の向上したフィルムで当時のテッサー型35ミリレンズを使ってみると、現代レンズとは違った性向が見えてきて面白い。これらの中で一番現代に近い描写をするのはWニッコールだろう。つまり開放からピントがぴしゃりと来て、コントラストも高い。ニッコールというブランドが最初からどこを起点としてどこへ向かおうとしていたのかが、このレンズからも判る。ニコンS用の35ミリレンズは1,8/35をもって止めを刺したかに見えるけれども、なかなかどうしてテッサー型のF3,5も侮れないものがある。


Contax I + W-Nikkor 3,5/3,5cm. ILFORD DELTA 400


W-Nikkor 3,5/3,5cm

 この対極にあるのがアンジェニューX1だろうか。パリのピエール・アンジェニュー社のレンズで、同社はシネカメラ用のレンズで名高いメーカーだ。ズームレンズも早い時期から手がけている。このタイプX1は、絞り開放では強烈なハロを伴って、まるでソフトフォーカスレンズのような写りを見せる。5,6も絞ればだいぶシャープさを増してくるが、全体的にソフトな描写で決してコントラストも高くない。絞っても見た目の深度は浅く、パンフォーカスで使うのは難しいだろう。使い方の難しいレンズだが、ぴったりはまるとなかなかに得難い絵が作れる。


BESSA R2C + TYPE X1. ILFORD DELTA 400


P.ANGENIEUX TYPE X1, Contax mount

 もうひとつ、オランダ唯一の光学企業、オールド・デルフト社製のミノールもこれまた稀少でばか高いレンズだが、適度に低いコントラストと鋭すぎないシャープネスで穏やかな写りをする。四隅の破綻も少なく実用的だ。被写体の明暗差が少ないと眠くなる傾向があるので、Wニッコールほど万能とは云えないけれど、味わい深いものがある。トライXなどのコントラストの高いフィルムと組み合わせるといいかもしれない。


Contax II + MINOR 3,5/3,5cm. ILFORD DELTA 400


MINOR 3,5/3,5cm, Contax mount

 いっぽうシュナイダーのクセナゴンは扱いに困るレンズだ。周辺の流れがとにかく激しい。同じく開放での描写に疑問符がつく新ビオゴンがf5,6にも絞れば優れた描写をするのに比べ、これは絞り込んでも改善されない。最初からトリミングを前提に設計されたような感じがする。このクセナゴンは、ディアックスというフォス社のレンズ交換式レンジファインダーカメラのレンズである。カメラ同様、あまり市場では見かけないようだ。


Diax Ib + Xenagon3,5/35. TCN


Xenagon 3,5/35

 同じくディアックスの交換レンズ、こちらはイスコのヴェストロン3,5/35である。ディアックスb型に合わせて登場したもので、スペックは先のクセナゴンと同等だ。しかしクセナゴンと比べて何か特別変わったような描写をするわけでもなく、周辺は甘いままだし、よりシャープネスを増したようにも思えない。エルマーよりは良いが、トラベターほどではないと云うところか。もしかするとカラー性能が良くなったのかもしれないが、まだ撮ってないので判らない。


Diax IIb + Westron3,5/35. AIKO LIGHTPAN 100 SS


Westron 3,5/35

 日本光学のライバル、キヤノンも35ミリのテッサー型レンズを初期にラインナップしていた。いまだセレナーブランドだった頃のことだ。キヤノンの35ミリはすぐにF3,2の別構成のレンズに変わり、やがてF1,8の名レンズとして名を残すことになるが、最初期のF3,5もなかなか描写は良好である。逆光でフレアやゴーストが出るのは致し方ないとして、順光条件ではWニッコールほど硬くなく、エルマー3,5サンチよりもシャープだ。数が少なくあまりに目立たないため、市場で見かけることは珍しいレンズになってしまった。


Canon 7 + Serenar3,5/35. NEOPAN 400 PRESTO


Serenar 3,5/35

 こちらは田中光学のタナーである。ライカコピー機、タナック用に供給されたものだ。専用ファインダーとセットで販売された。のちにはF2,8に改良されているが、むろんテッサー型ではなくなった。
 描写はセレナーと似たようなものだ。Wニッコールほどシャープでなく、エルマーよりピシッとしている。まずは中庸な写りとでも云うべきか。コントラストもほどほどにあって、モノクロで使う分には十分である。周辺は少し流れるようだ。この辺りはクセナゴンに似ている。


Leica DIII + Tanar3,5/35. NEOPAN 400 PRESTO


Tanar 3,5/35

 ライツと同じヴェッツラーのライドルフ社から出ていたロードマット用の交換レンズ、シャハトのトラベターもテッサー型の35ミリレンズである。大変小さくこじんまりとしていて、まるで8ミリ用シネカメラのレンズみたいだ。鏡胴の回転方向はライカと同じ、絞りリングにはクリックストップがついていて、不等間隔絞りだからこれは便利だ。ヘリコイドはシングルヘリコイドで傾斜カムとなっている。
 描写にはWニッコールにひけをとらないほどのシャープネスとコントラストがある。見た目のちっこさからは想像もつかないほどのキレと云ってよい。もちろんこれは、当時としては、というハナシだから、現代レンズと比較されては困るが、モノクロで撮る分にはライカがどんなもんだてゆうくらいのレベルだ。


Lordomat SLE + Travetar3,5/35. NEOPAN 100 SS


Travetar 3,5/35

 本家テッサーの35ミリレンズは、1942年に試作品が作られてから40年以上も経った1980年代後半にようやく登場した。ヤシカTシリーズというオートフォーカスカメラに搭載されたのがそれだ。F3,5とF2,8の2種類があったが、主に使用されたのはF3,5である。恐らく、というかやはり、この辺がテッサーの最適値なのであろう。さすがに誕生から80年も経っての新設計だけあって、コンパクトAFカメラの中でも抜群の写りをする。逆光にも滅法強い。巷にはこのレンズを摘出してライカネジマウント化するサービスもあるそうだ。


Kyocera T proof. Kodak GOLD 200


Kyocera T proof (Tessar 3,5/35 T*)

 デジカメが興隆を恣にしてフィルムカメラの売上げが激減する現状に鑑みるに、おそらく今後、テッサータイプの35ミリレンズが登場することはあるまい。それどころか、テッサータイプそのものでも新しいレンズが生まれてくる気配はない。だとすれば、20世紀の写真レンズ史は、まさにテッサーの時代だったとも云えなくなかろうか。

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Text and Photo : (C)2005-2006 Takanashi_Yoshitane.
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